ソフトウェア・グラフィティ
書評っぽい文体で書いてみました。
帯に「鬼才・岸田孝一」と書いてある。
読んでみて、それは間違いではないことがわかる。
プログラマをはじめとして、ソフトウェアにかかわる人には
お勧めしたい本である。
こんな歴史あったのかと、氏の歴史を通してわかる。
実はこの書籍は、感想文を書く(送る)ことを条件に頂いた本である。
なので、このエントリはその宿題である。
確か字数の制限があったようだが、忘れてしましまった。
この本は、大きく2つに分かれる。
それは、岸田氏の歴史と現在のSRAのキーパーソンの記事である。
前半も面白いが、また後半もSRAのすごさがひしひしと伝わる。
とりあえず、前半に絞って気になったところを引用しながら、
コメントを沿えていきたい。
プログラマの本来の関心は、そのプログラムをどのような構造に
設計したらよいかということに尽きるのだと、私は考えている。
この当たりの文章は、要するに内部品質と外部品質について
論じているように感じた。が、それが当たっているかはわからない。
あとは、ダイクストラ先生のGOTO文の話。
われわれは、最初から正しいプログラムを書く方法を探し求めなければならない。すなわち、プログラムを人間の目で読むことによってその正しさが確認できるような「正しいプログラムの書き方(設計/表現手段)」が必要なのである。GOTO文はこのような視点から見て、明らかに有害なのだ。
ダイクストラ先生に手紙を送って、講義ノートを取り寄せたらしい。
すごい行動力だ。見習いたい。
以下の文章が一番心に響いた。
開発環境という、自分の仕事のための道具立てを改善しようと考えるさいの本音は、要するに、みんなが、そして特に自分自身が楽しく好きなことをできるようにしようということにつきるでしょう。そうすれば、結果として、生産性の向上や品質の改善は自動的についてくる。そうでなければおかしい。
逆に、生産性向上や品質改善を第一義の目的にしてしまうと、楽しくないことや好きでないこともやらなければならなくなります。そういう環境作りはたいていうまくいきません。
現在、SEPGに近い立場で業務をしているので、個人的な違和感をストレートに表現されていて、100%同意できる論である。
しかしながら、全体を通して、哲学的な文章が比喩として用いられるので、
そのあたりの遊びが嫌いな人は、少し敬遠したほうが良いのかもしれない。